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株式会社オフィステイテイエス俳優事務所のブログ

苫米地英人博士の言葉

 

 


# 1008
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【日本人は手抜きをしなさ過ぎ。】


だと、苫米地英人博士です。次のように解説されます。

 

アメリカ人は日本人には作れないボーイングが作れる。スペースシャトルも作っているよ。

 

彼らは、要は、トレランスの幅を狭くすれば、ちゃんとその中にいれられる職人が選ばれているからできるんだよ。


つまり、これは能力の話じゃなくて、手抜きのレベルの話(笑)。要は、文化の差で日本人はトヨタの自動車なのにスペースシャトルぐらいの精度で作れるわけだ。


上司がいったトレランスよりも遥かに精度を高めてしまう。それが職人気質ってことね。


そういう職人肌の人間はアメリカにだって居て、彼らみたいな人がスペースシャトルを作る。


ただし、ここがポイントで、アメリカ人は「トレランスに従って」作っているんだよって作っているんだよ。


ところが、日本職人はトレランスを無視する。フエラーリなんかもそうで、スピードメーターは360キロまであるよ(笑)。


一体、どこでそんなスピード出すの?って。サーキットでも出ないよ、直線が短いから。完全にオーバースペックでしょ。』


と、苫米地英人博士です。

 

 

 

 

 

# 1007

【ビジネスにおいてやり過ぎというのはリソースのムダ使い。】

だと、苫米地英人博士です。次のように解説されます。


『職人の世界と趣味の世界は全く別物で、職人の世界は、やり過ぎの世界だから。


例えば、モノを作るにはトレランス=許容範囲というものがあるね。これは、ある点を中心としてプラス•マイナスいくらまでならOKというもので、長さが10センチでトレランスがマイナス0•1ミリならば、その範囲内にあれば合格になるわけだ。


で、こういう場合にアメリカ人がモノを作ると、トレランスの間を満遍なく分布した製品ができてくる。


ところが、日本人がやると中心点に極めて高い分布の製品を作る。


日本人がやれば、精度の高い製品ができてくるってことなんだけど、外国人からすれば、それはやり過ぎなわけだ。


なぜならそのためにトレランスを決めたわけだから。で、ここからが重要なんだけど、ビジネスにおいてやり過ぎというのはリソースのムダ使いなんだよ。

高スペックを維持するために、時間や技術のムダ使いをしているわけで、ビジネス的にはバツなわけ。


経済の合理性で言えばアメリカ人のモノ作りが正しいんだよ。ただし、それでは日産の高性能スポーツカーのGTRは絶対に作れないわけだ。アメリカ人にはGTは作れない。』


と、苫米地英人博士です。

 

 

 


# 1006

【達人はニーズを意識してはいけない。】

と、苫米地英人博士です。次のように解説されます。


『「道を極める」とはどういうことか。よく達人っていうけど、はっきり言えるのは分野の狭い人のことを言うのね。


医学でいえば、外科手術の達人がいなくて、いるのは「脳」外科手術の達人がいて、さらに「前頭前野」の手術の達人がいてって、より狭い分野の中で技術を極めることで達人と呼ばれるわけだ。


居合の達人なんかもそうで、飛んでくる鉄砲の弾とかを切り落としてまう人までもいるみたいだよ、そういう映像をYoutubeで見たから(笑)。


でもさ、そうなってくるとニーズがどんどん狭くなってこない?前頭前野を痛めた患者って少なくないと思うよ。


居合にしても、飛んでくる弾を斬らなければいけない戦場ってどこにあるの?


だからといってニーズを意識しなきゃいけないかというとそうではない。達人の世界はそれでいいわけ。


なぜなら趣味の世界だから。趣味という言葉が悪ければ、芸術の世界といってもいいけどね。


要は、達人になればなるほど、一般人の世界から埀離してくるわけね。俺は昔、自分の書いたプログラムのソースコードを額縁に見せびらかしていた時代があるんだけど、普通の人が見ても「なんだ、これ?」でしょ。


ところが、そのソースコードは見る人が見ると「こんな難しいタスクをこんな短い行数でできるなんて、何てエレガントなプログラムなんだ!」っていうものなんだよ(笑)。


分野が狭まれば、それを理解する側、必要とする側、あるいは享有する側も狭まるということね。』


と、苫米地英人博士です。

 

 

 

 


# 1005

【人間の情動を納得させるようなお得な話なんか、ビジネスにはない。なぜなら、我々は「限定合理性」で生きているから。】

と、苫米地英人博士です。次のように解説されます。


『「事なかれ」が社会の発展や人々の生活を良くするのを邪魔することも多々ある。そんな時「事なかれ」を打ち破るにはゴールの設定しがない。


情動的に得るか、損かで考えるんではなく、ゴールに近づいたか否かで判断する。


情動的に考えた瞬間に判断を誤るからね。人間の情動を納得させるようなお得な話しなんか、ビジネスにはない。


なぜなら、我々は「限定合理性」で生きているから。この「限定合理性」を最初に提唱したのはハーバート•A•サイモンさんで、俺のカーネギー大学院時代の先生なんだけどね(笑)。


彼はカネーマンよりも前にノーベル経済学賞しているんだけど、「限定合理性」で何がわかったかというと、経済学の大前提が崩れるということ。


経済学の大前提とは、「100%合理的に行動する人間が完全情報を持って市場に参加する」ってことだからね。


そもそもこれ自体おかしいんだけど(笑)。でも、カーネマンは心理学のデータを使って、そんな前提は間違いだって証明して、ノーベル経済学賞を取ったわけね。


ということは、経済学が敗北を認めたわけだ。


心理学においても経済学においても人間は「事なかれ」でいい。何の問題もない。


ただし、資本主義社会では大抵認められない。これさえ、理解しておけば、ムダに悩む必要もないし、損得の本質を見抜けるわけね。』


と、苫米地英人博士です。

 

 

 

 


# 1004

【放っておいたら人間は全員、「事なかれ」になる。】


と、苫米地英人博士です。次のように解説されます。


『「事あり」で起きることに対する悪い結果が怖いわけだ。その悪い結果に対して2倍のいい結果があれば、「事なかれ」は減ってくるってことだよね。


ところが、現実の世界に2倍のいい結果なんてほとんどないでしょ。


現実のビジネスでいえば、5%,10%の利回りだって大変な世界なんだぜ。そんな時に200%を望むのが人間の自然な心理だってこと。


ということは放っておいたら人間は全員、「事なかれ」になるんだよ。


要するに論理的な考えていないから、言い方で左右されてしまうわけだ。これはね、期待値で考えればいいわけ。』

だと、苫米地英人博士です。

 

 

 

# 1003

【人間は、リスクに対してリターンが2倍ないとギャンブルしない。】


と、苫米地英人博士です。次のように解説されます。


『コインを投げて表が出たら150万円貰えます。裏が出たら100万円を払わなければいけません。


あなたはやりますか?大抵の人にとってこのギャンブルは魅力的に思えないんだよ。


でも、これは悪いギャンブルじゃないんだぜ。だって、2分の1の確率で150万円貰えて、100万円失うんだよ。


普通絶対にやるでしょう。10回やったらボロ儲けだよ。多くの人がなぜ気乗りしないかというと「50%の確率自分の富の額が100万円減るか、150万円増えるか、といった瞬間に自分の富の額から考えてやろうか、やるまいか」決めているからだよ。


例えば自分が1億円持ってるとして、勝つと1億5000万円に増えて、負けると9900万円に減りますょ。


ドゥでか、やりますか?って言った時は少しやってもいいかなって考えるよね。


だけど、単純にコインをフリップして表が出たら150万円あげる、裏が出たら100万円くれって言ったら、みんなノーと言うわけだ。


だから、合理的な判断を人間はしていないんだよ。その場その場の情動で判断している可能性が高いってことだね。


で、いろいろ実験した結果、人間は「リスクに対して2倍ないとギャンブルしない」ということがわかった。


「勝ったら200万円あげますよ、負けたら100万円くださいね」というと「やる」という人が結構出てくるわけね。』


と、苫米地英人博士です。

 

 

 

 


# 1002


【人間は本来「事あり」を望む。】

と、苫米地英人博士です。次のように解説されます。


『人間は本来「事あり」を望むのにしばしば「事なかれ」をしてしまうのは情動優位になっているから。


悪いことが起きるかもしれないから「事なかれ」なんでしょ。つまり、「事なかれ」というのはリスクに対する恐怖。


これに対して、カーネマンが言うのはリスクの2倍の利益がないと人は動かない、ということ。


例えば、ある日、Aさんの金融資産が400万円から300万円になりました。同じ日Bさんの資産が100万円から110万円になりました。


さて、どちらが幸せでしょうか?普通はBさんっていうよね。Aさんはお金が減ったといっても300万円持っているんだぜ(笑)。


でもBさんは増えても110万円だよ。3倍の資産があるのに、なんでAさんの方を不幸に感じるの(笑)。』


と、苫米地英人博士です。

 

 


# 1001

【お金持ちになってもまだお金が欲しいのは、金に興味が在るんじゃなくて、資産の変化によってが在るからなんだよ。】

と、苫米地英人博士です。次のように解説されます。


『自分の人生を良くする意味では「事なかれ」はそれぞれに切り分けなければいけない事がある。


なぜならゴールはたくさんあるからね。健康というゴールでは「事なかれ」が正しいでしょ。

 

フアイナンスでも実は「事なかれ」で、入りと出の資産形成だから、収入が突然ドーンと大きく来て、あとは少ないというよりも、安定的に入ってきた方がいい。


出もそうで、突然の出費よりも同額を安定的に支払う方がいいに決まっている。

 

ノーベル経済学賞を受賞したダニエル•カーネマンはこれを「限定合理性」って言ったのね。


彼が言っているのは「我々の満足感、幸福感は資産の量ではなく、資産の変化である」と。


お金持ちになってもまだお金が欲しいのは、金に興味があるんじゃなくて、資産の変化に興味があるからなんだよ。


我々の満足感は変化から生まれるというのがこの人の主張。』


だと、苫米地英人博士です。